2007年08月25日

社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」

 この本は、TBSラジオの文化系トークラジオLifeという番組のメインパーソナリティのチャーリーこと鈴木謙介氏がお勧めしていたので読んでみた。

 社会学というものは、社会というものを客観的に見ていて、単純に傍観するだけで参加者としては何もしないという意味で少し抵抗があった。かといって、社会学的なことをLifeのような番組を聴いたりして頭で考えることは、楽しめてしまうという性質が自分にはあり、いつも矛盾を感じている。自分としては、傍観者ではなく、プレイヤーになりたいからだ。正直、傍観者は何も生み出せないという考えがある。社会学者に社会を変えることができるだろうか?彼らは単純なエンターテナーなのではないか、と思っていたこともあったが、最近では彼らの「啓発」という行為がもしかしたら社会を極端に悪い方向に走らせない歯止めにはなるかもしれないという考えも少し出てきた。

 そんな社会学に対して多少複雑な思いを持っていた自分だが、社会学の深みにはまるべくマックス・ヴェーバーの著作であるこの作品を読んでしまった。

 だが、一度読んだだけで理解するのは難しい表現が多い本だった。社会を見る上で客観性を持つことは非常に難しいというような内容だったと思う。社会における観察したい事象を「選択」する時点で、客観性が失われるということか。
 
 確かにそうだ。学者が言うことでさえ、結局その人の「好み」で言っていると思うことがよくある。社会学に正解はあるのだろうかと考えてしまう。私は大学で経済学を専攻していた。感覚的には、経済学は社会学と違って、正解が存在するような気がする。ただ、その場合、宗教なんかが必要で、「どのような状態が人間にとって幸せか」を定義しなければならない。ある人にとってみれば、お金があることかもしれない。ある人にとってみれば、時間があることかもしれない。人とのふれあい、一人で生きること、家族に尽くすこと、質素に暮らすこと。様々な価値観が存在するが、どのような価値観を重視するかを決めることができれば、経済学は正解を持ちうるのではないかと思う。ただ、それば非常に難しい。一つの価値観に決めてしまうのはファシズムにつながるかもしれない。現在、経済学は「money」を価値観に統一しているため、ある程度の有効性を示せている。が、最近では様々な価値観を主張する風潮があり、現状の経済学が批判されている傾向がある。

 この文章を書いていて気付いたが、ヴェーバーが書いていた「事実の把握」と「価値判断」を分けて考えるということは上記のようなことをしっかりと認識するということかもしれない。

 この本では、私が理解できること以上のことを言っていた可能性がある。また時間を置いて読んでみようと思う。




posted by 横浜振動 at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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